尊厳死宣言公正証書を作成したいが、今は12,000円が惜しい。 | おばちんです。

2017年3月5日日曜日

尊厳死宣言公正証書を作成したいが、今は12,000円が惜しい。





おばちゃんはなるべく自然死でこの世を去りたいと思っている。

意識不明の重体で運ばれて、知らぬ間に望まぬ延命治療は受けたくない。なので財布にはこんなメモ書きを忍ばせている。




延命治療を拒否します。

まっ、効力ゼロだねっ!医者だって法的責任を問われたくないしねっ!あっ、もちろん実物はもう少し詳しく書いてるよ。家族にも一応伝えている。

いずれは公証役場で尊厳死宣言公正証書を作成したい。
だが、今は手続きにかかる手数料、約12,000円が惜しいのだ......。

尊厳死宣言公正証書とは
 「尊厳死」とは、回復の見込みのない末期状態の患者に対し、生命維持治療を差し控え又は中止し、人間としての尊厳を保たせつつ、死を迎えさせることをいいますが、「尊厳死宣言公正証書」とは、嘱託人が自らの考えで尊厳死を望む、すなわち、延命措置を差し控え、中止する等の宣言をし、公証人がこれを聴取する事実実験をしてその結果を公正証書にするものです。
京橋公証役場



死ぬのはそれほど怖くない。人間だれにでも死は訪れるし、無になるだけだ。それに自然死であればそれほど苦しまずに死ねるようだし。

自然死の実体は、「飢餓」であり、通常「飢餓」「脱水」と言えば非常に辛いものと想像されるが、同じ「飢餓」でも死に際の「飢餓」「脱水」は辛くないようだ。 
いのちの火が消えかかっているから腹も減らない、喉も乾かない。つまり、生命力が衰えてくると、その必要性がなくなるのだ。 
「飢餓」は、脳内にモルヒネ様物質が分泌され、いい気持ちになって、幸せムードに満たされるという。 
また、「脱水」は、血液が濃く煮詰まることで、意識レベルが下がって、ぼんやりとした状態になる。  
「死」という自然の営みは、本来、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまったのです。

大往生したけりゃ医療とかかわるな「自然死」のすすめより。


おばちゃんも、そう思う。

死ぬことより、延命措置による耐えがたい苦痛の方がずっと怖い。それに金銭的なことや看病してくれる人(いるのか?)の人生も心配だ。

それより自然に死なせて欲しい。

まだまだ先の事かも知れないけれど、明日かも知れない。
穏やかで安らかに逝きたいよ。


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